海洋散骨について考える【コラム】
私の初めての海洋散骨
私が初めて散骨したのは父の遺骨でした。1999年の夏頃だったと記憶しております。
日本ではまだ「散骨」や「海洋散骨」といった言葉に馴染みのない時代だったように思います。
生前の父の遺言で
「俺が死んだら海に流してくれ」
という言葉を実行に移しました。
しかし、実際に散骨をする時に
「これで本当に良いのだろうか?」
という心の葛藤と恐怖心があったことを今でも覚えております。
日本の散骨葬
近代の日本では、遺体は火葬することが普通ですが、今から100年ほど前には土葬が主流でした。
昭和23年に「墓地埋葬法に関する法律」が施行されてから、徐々に火葬率が高まり、現代では
100%に近い数字で火葬が一般化されています。
しかしながら
火葬された遺骨はお墓に入るという概念は
今、崩れ去ろうとしているようです。
好むと好まざるとに関わらず
「お墓を維持することが困難な時代」を迎えてしまったのです。
現在日本には、お墓に入っていないお遺骨が約200万柱以上と言われています。
不幸?にも、ゴミとして捨てられてしまったお遺骨も、散骨として捉えるならば
年間の散骨数は数万柱になるのかもしれません・・・
有名人・著名人の方々の散骨葬
散骨葬を選択した有名人の方々は、数多くいらっしゃいますが、日本人に馴染みのある方々の
お名前を若干名ご紹介します。
最近では、皆様のご記憶に新しいところでは、石原慎太郎さんですね。
皆様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
散骨された有名人の人たち(敬称略)
劉暁波 2017年61歳 中国の著作家(ノーベル平和賞)民主化運動
散骨場所 中国の海に散骨
藤圭子 2013年62歳 演歌歌手(宇多田ヒカルさんの母)夢は夜開く
散骨場所 海に散骨
新藤兼人 2012年100歳 映画監督、脚本家。(鬼婆、原爆の子)
散骨場所 広島県の島に散骨
立川談志 2011年75歳 落語家、(落語立川流家元)
散骨場所 ハワイの海で散骨
藤沢秀幸 2009年83歳 囲碁の棋士、名誉称号(名誉棋聖)
散骨場所 山口県の島で散骨
深浦加奈子 2008年48歳 女優、名わき役と評された(家なき子、ナースのお仕事)
散骨場所 相模湾の海で散骨
中島らも 2004年52歳 小説家、ミュージシャン。(ガダラの豚)
散骨場所 大阪湾の海で散骨
井上遥 2003年56歳 声優、放送作家。(おそ松くん、アンパンマンくろべい)
散骨場所 オーストリアの古城に散骨
天本英雄 2003年77歳 俳優。(仮面ライダー、二十四の瞳)
散骨場所 スペインで散骨
荒井注 2000年71歳 コメディアン(ドリフターズ)
散骨場所 オーストラリアで散骨
永山則夫 1999年48歳 (連続殺人事件の元死刑囚)小説家(木橋、新日本文学賞)
散骨場所 オホーツク海の海で散骨
hide 1998年33歳 日本のミュージシャン。音楽プロデューサー
散骨場所 ロサンゼルスの海で散骨
ケ小平 1997年92歳 中国の政治家。社会主義経済下に市場経済の導入
散骨場所 中国の海で散骨
横山やすし 1996年51歳 漫才師、タレント。(相方は西川きよしさん)
散骨場所 宮島競艇場に散骨された
沢村貞子 1996年87歳 女優、エッセイスト。(ゼロの焦点、飢餓海峡)
散骨場所 相模湾の海で散骨
ジェレミー 1995年61歳イギリスの俳優、(戦争と平和、シャーロックホームズ)
・ブレッド 散骨場所 遺族により散骨
音羽信子 1994年70歳 女優、(肝っ玉母さん、おしん)
散骨場所 広島県の島に散骨
山本七平 1991年69歳 山本書店店主、評論家。
散骨場所 イスラエルで散骨
フレディ 1991年45歳イギリスのミュージシャン。
・マーキュリー 散骨場所 遺族により散骨された
エドウイン 1990年79歳 在日アメリカ合衆国大使、東洋史研究科
・ライシャワー 散骨場所 太平洋の海で散骨
石原裕次郎 1987年52歳 俳優、歌手、ヨットマン(石原プロダクション)
散骨場所 湘南の海で散骨されたと言われている
マリア・カラス 1977年53歳 ソプラノ歌手
散骨場所 エーゲ海の海に散骨
周恩来 1976年77歳 中国の政治家
散骨場所 中国の大地に飛行機で散骨
リヴァ 1970年23歳 アメリカの俳優
・フエニックス 散骨場所 フロリダで空中散骨
劉少奇 1969年71歳 中国の政治家
散骨場所 中国海軍の艦艇から海に散骨
ヴィヴィアン 1967年53歳 イギリスの女優、(風と共に去りぬ)
・リー
アドルフ 1962年56歳 ドイツのアウシュヴィッツ収容所所長
・アイヒマン 散骨場所 地中海に散骨
ウイリアム 1956年74歳 航空機メーカーボーイングの設立者
・ボーイング 散骨場所 カナダブリティッシュ
アルベルト・ 1955年76歳 理論物理学者、(ノーベル物理学賞)
アインシュタイン 散骨場所 アメリカの川
ヘルマン 1946年53歳 ドイツの政治家
・ゲーリング 散骨場所 墓地が聖地とならないように散骨された
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淳和天皇 786年54歳 じゅんなてんのう(平安時代初期の第53代天皇)
散骨場所 京都の山で散骨されたと言われています。
今、なぜ散骨なのか
最近になって散骨や海洋散骨、樹木葬、納骨堂、永代供養墓、墓じまいなどという言葉が良く
聞かれるようになりました。
なぜでしょう・・・・
その理由の大半は日本の家族構成の変化や高齢化によってお墓を見れる人、持てる人が少なく
なってきたからです。
近年になって墓離れの傾向は段々と増えてきました。
地方ほどその傾向は大きく、現在では残念ながら長年続いた墓守の伝統が維持できない時代に
確実に突入してしまいました。
日本は今後、30年間程は死亡者数は増加の一方です。
その後も20年間はゆっくりと下降しながら進行して、今後約50年間は死亡者数の多い時代が続きます。
その影響は各方面に現れてきます。
葬儀社さんは繁栄の時期でもありますが、反面で増えすぎた葬儀社間での過当競争やダンピング戦争と
いう厳しい現実が待っています。
お寺さんは過疎化や民間霊園の増大や、墓を見ることの出来ない檀家の墓じまいの続出で
相当な工夫をしなければ観光寺等を除くとお寺の維持が相当に厳しくなります。
この先20〜30年間で全国のお寺の数が三分の一になると予測する人もいます。
衰退期に入り
民間霊園は経営規模の拡大や総数がこの先10年間位でピークを迎えて、やがて徐々に
その後は経営不振による倒産などによる社会問題が続出することを予測する人もいます。
公営霊園の永代供養墓(永年無料の場合)が未来の墓所事情を予測した限りでは現在のところは
さも安心な墓所と言えるのかもしれません。
散骨は永久供養
散骨は将来の先祖供養を考えたときに現代の大多数の方には適切な供養方法なのかもしれません。
しかし現状では散骨葬という先進的な考え方は多数の人に理解をしてもらうのが難しい供養法と
いえるのかもしれません。
先祖代々の
「お墓を墓じまいしたい」
などと言うと
お寺さんが反対します。
「散骨などとはけしからん!」
※余談ですが、日本最大の宗派である浄土真宗の親鸞聖人様が「私が死んだら川に捨てよ」と言われた言葉は
あまりにも有名です。
親族が反対します。
「お墓がないとかわいそうじゃない!」
※お気持ちはよくわかります。私たちは日本に生まれ育ち、死んだらお墓に入るという常識を植え付けられた
最近の文化の中で育ってきたのですから…
そして散骨の話は消え去ります・・・・
ここで、よく考えると・・・話が消え去ったのではなくて【問題を先送り】しただけなのです。
きつい表現をすると【無責任】とか、【関りから逃げたい】だけなのかもしれません。
近い将来に無縁仏となったお墓は
誰が?
いつ?
どうする? のでしょうか?。
あと、10年も経つと散骨葬と言う考え方が日本の社会にも普通に浸透してくるのでしょうが
現在のところは沢山の人の理解を得るのは難しいと思われます。
(※2016年のデータでは「散骨葬という言葉を知っている」95%「自分か散骨葬をされても良い」45%
と、5年ほど前のデータと比較すると飛躍的に認知されてきています。)
私は散骨葬の最前線にいますので、遺族様の散骨葬を選択されたお話を沢山お聞きして
今後の散骨葬の必要性を強く感じています。
さらに実感として日を追うごとに徐々に粉骨依頼や散骨の依頼が増えてきているのを肌で感じています。
最期に私事ですが
私も人として生まれ沢山の人と関り、沢山の人にお世話になりました。
今は故人様の人としての最後の形を自然に戻してあげるお別れのお手伝いが出来ていることを
心から感謝しています。(私がお世話できた故人様とあの世でお会い出来たら楽しいでしょうね)
海洋散骨葬
ご散骨の当日は、ご遺族の方達にハーバーでお会いして、船上での安全のレクチャーや散骨葬の
式次第などをご説明してからの出港となります。
私の船との関りは長くて、若いときは日本国内や海外の国々を貨物船の航海船員として
勤務していました。1976年に初めて船員となって乗船した「勝洋丸」から始まり
最後に乗船した「あかしあ丸」まで、私に仕事を教えてれた先輩方は皆様天国に召された
事と思います。「ありがとうございました!」
下船して陸上勤務に就いてからは長い間
船とは無縁でした。
その後の今から20年ほど前には友人に誘われて
共同オーナーのヨット(AZUL号)やボート
(@ホーム352海里号)に10年間ほど乗って
楽しんでいました。
やがてそれも終わり、もう自分で舵を握ることは
ないだろうと思っていました。
その私が海洋散骨葬の為に御遺族の皆様をお乗せして再び舵を握ることになりました。
運命とは本当に不思議なものだと思います。
散骨海域に到着して一番気を遣うのは風向きです。
風上に遺灰を散骨すると、遺族の方たちが遺灰まみれになってしまいます。
景色が良くて散骨しても風下になる方向に進路を微速前進で固定させます。
私が自分自身の手でお遺骨を粉骨して水溶性紙の袋にお入れした遺骨を、遺族の方にお渡しして
散骨して頂きます。
続いて御献花。
御献酒と散骨式は流れていきます。
その間にも安全と献花した位置を見逃さない様に
注意を払います(Uターンしたときの最後の
お別れの目印の為)。
散骨が終わった後の遺族様のお顔は、皆さま晴れ晴れとしたように見えます。
遺族様とお別れの時には、短いながらも一緒に航海をした仲間のような気持になり、お別れは寂しいものがあります。
後日にお礼の電話やお礼状をいただくと、皆様のお顔を
思い出し、本当にありがたい気持ちで一杯になります。
代行散骨
代行散骨葬の時はスタッフが一人で出港することが多いです。
私が担当した時は明るくお別れする為に、お遺骨に色々な
事を話しかけながら走っています。
(故人様は変な奴と思っているかもしれませんね(笑))
散骨海域に到着したら
黙とう
御散骨
御献花
御献酒
二度目の黙とう
(ここで必ず心の中で言うのが
「私も近々そちらに行きますのでお会いしましたら
宜しくお願いします」です)
Uターンしてご散骨したところで汽笛を鳴らして
サ ヨ ウ ナ ラ・・・・・マ タ ネ !